原水禁世界大会:広島・長崎大会で報告と呼びかけ(2023.8.4-8)

8月4日から8日にかけて行われた被爆78周年原水爆禁止世界大会の広島大会・長崎大会では、現地実行委員会のご協力で、「全ての原発事故被害者へ国による健康手帳交付を求めよう」と呼びかけた「守る会」のリーフレット署名用紙を、全国からの参加者に大会資料とともに配布していただきました。

また、8月5日広島大会「ひろば企画」のひとつである「ヒバクを許さないつどい」で、「福島原発事故被害から健康と暮しを守る会」から佐藤晴夫・運営委員が、「福島からの報告」を行いました。(下記)

佐藤晴夫さんの「福島からの報告」より

原発事故当時、私の家は第一原発から20kmの園内の楢葉町にありました。地震の翌日、余震で寝不足の朝、「町民の皆さん、南か西の方向に避難してください。」との広報無線を合図に、着の身着のまま避難しました。あれから12年と半年を迎えようとしています。今もまだ避難生活をしています。

双葉郡は8町村あり、3つの町村は帰ってもいいのですが4町はいまだに帰還困難区域を抱えています。まだまだ帰れない方々、帰らないと決めた方もたくさんいます。楢葉町は「帰ってきてもいいですよ」と言われているのですが、町には診療所と歯医者が1件、スーパーが1件、何かあると買い物にしても30~40㎞離れたいわき市に出かけなくてはならず、昔のようにはいきません。楢葉町の私の家の周りも様変わりし、更地ばかりが目立つようになっています。帰町率は60数%と言われておりますが、若い人が帰ってきません。

私は今も仕事で山を見て歩くことがあり、以前は除染を担当していたこともありました。森林は福島県全体の7割に当たり、放射能汚染されたままです。除染作業は家とか畑とか「生活圏」から20mだけで、森林は放射能の自然減衰を待っているだけです。浜通りは木材を生産する人工林が多く、人が山に入っていかなければならず被ばくもします。また、風力発電が阿武隈山脈に計画されていますが、除染されていない森林での開発が進み、木材が切り開かれ保水力の少なくなった森林から海に流れ込む、山と海の水の循環スピードが速くなります。渓流のイワナ・ヤマメの放射能を図りましたが、食品基準の100ベクレル/kgを上回る数値がでていますし、山菜、キノコも食べられません。

今、原発敷地内に保管されている汚染水の海洋放出が強行されようとしています。国と東電は「関係者の理解なしには海洋放出はしない」として、漁業関係者の理解を得ようと必死になっていますが、海で生業をしている漁業者の理解を得られないことは言うまでもなく、漁師は「海は皆のものだ。汚すことは許されない。」と言っています。政府・東電は「関係者はだれなのか?」の質問には答えず、「政府の許可が出た」、IAEAは「基準を満たしている」等々、「へでぇなし」(いい加減)な事を言って流す準備だけは着々と進めています。

昨年10月「福島原発事故被害から健康と暮らしを守る会」を結成し、医療費等減免措置の段階的廃止に反対するとともに、国の責任に依る「健康手帳」交付を求めて取り組んでいます。今後も長い闘いになります。ご協力をおねがいします。

(楢葉町,佐藤晴夫・運営委員, 8月5日原水禁広島大会「ひろば」での報告より)

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