茨城平和擁護県民会議の被災地視察受け入れ(2023.10.28) 

10月28日、茨城平和擁護県民会議による福島原発事故被災地視察を「福島原発事故被害から健康と暮しを守る会」で受け入れをしました。大型バスで約40名が被災地の浪江町津島地区、大熊町にある中間貯蔵施設を視察しました。(「守る会」からは、紺野則夫会長のほか、佐藤龍彦、佐藤晴夫、振津かつみが案内しました。)

津島では石井ひろみさん(福島原発事故津島被害者原告団・副団長)が、ご自宅の母屋の広い部屋(24畳)に案内してくださり、被害実相を丁寧に話してくださいました。自宅は、明治5年築150年を経た古民家。動物が入り、コウモリが座敷を飛び、朽ち果てた家は住める状況ではない。しかし、代々続く家を解体してよいものなのかと思い悩み嘆く。そのような被害者の思いを無視して、国は無償解体1年期限を設けて判断を迫る。津島に嫁いで40年「私もいつしかどっぷり津島人でした」と、ひろみさんは述べておられました。また、「津島が地図から消される危機感」「事故翌日の避難の有様」「独自の汚染調査」「反省と教訓のない国・東京電力」等々、資料も準備提供してくださいました。そして、「訴訟の柱『ふるさとを返せ!』は、原発の稼働を許さない、そして健康保障を求めること」と強調されました。参加者からも「ふるさとを返せ」の意味がよく理解できたとの感想が寄せらました。

広大な土地に県内の除染土壌や廃棄物を搬送し貯蔵する、「中間貯蔵施設」も見学しました。2015年3月始めた除染土壌の搬送は、現在6市町村を残すのみとなっています。「中間貯蔵施設」の敷地内では、すでに受け入れ、分別、減容化も終わって、除染土が貯蔵されており、利用のない施設が立ち並ぶ状態。環境省管轄の案内担当者は、しきりと「住民の方々には敷地内の土地の提供して頂き、家の解体にもご協力頂いた。」と繰り返す。また、放射線量は3.8μ㏜/h(年間20mSv)を基準にして、それよりも「低い」ことを強調し、「公衆の被曝限度は年1m㏜」を超える現状が、そもそも法令違反であることを全く自覚していない説明に終始し、「概ね処理は順調に進んでいる」と説明しました。

「中間貯蔵施設」の敷地内には、ところどころに解体されないままに残る朽ちた家や建物が残り、「必ず帰る」との石碑を立ててある家もあります。

「よくもまず大熊・双葉にまたがる広大な土地を奪い、住み慣れた人々を追い出したものだ。買い上げられた地域の夫沢には私の親戚が多数いた。その中に、戦後に入植し土地を開墾して田畑を拡げた叔母がいる。浪江出身で、戦前に家族で満蒙開拓団に参加して満州で育った。敗戦後、母子で引き上げる途中、二人の兄弟を亡くし、姉は中国人に売られそうになったところを逃げ帰った。父は戦死、母は帰国後間もなく病死。成人して大熊の開墾部落に嫁いだ。国策の満蒙開拓団で満州に夢を追い、また国策の大熊開墾で血税を払った、そして国策である原発の事故にために、手塩をかけて耕した土地を手放さざるを得なくなった…ふるさとを返せ!という人々の想いを他所に、『住民の方々に、土地を提供して頂きまして…』と言う環境省案内担当者の説明は、なんとしらじらしいことか…」と、佐藤龍彦・事務局長が悔しい思いと怒りを吐露。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です