核兵器も原子力発電も、核エネルギーの元になるウラン鉱石の採掘・精錬から始まります。ウラン採掘・精錬は、その多くが世界中の先住民の土地で、環境汚染や採掘・精錬労働による被害を先住民に押し付けながら行われてきました。
被爆79周年原水禁世界大会・広島大会(8月4日〜6日)で、世界の核被害者=ヒバクシャとの連帯として、原水爆禁止日本国民会議が米先住民ナバホ(ディネ)の女性二人〜エイディス・フッドさんとテラシィタ(テリー)・ケヤンナさん〜を招聘しました。広島大会の後、8月8日〜10日、福島原発事故被災地での視察・交流を「福島原発事故被害から健康と暮しを守る会」として受け入れました。(「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」のコーディネートにより、「守る会」アドバイザー振津が同行。)
二人が住んでいるナバホ・リザベーション(居住区)は、米南西部のニューメキシコ、アリゾナ、ユタ、コロラドの4州の州境が交わるフォー・コーナーズと呼ばれる地域に広がっています。この地域にはウラン鉱脈があり、これまでの核開発によって残されたウラン廃坑・製錬所跡など500以上がこの地域に集中しています(右図)。元ウラン坑夫の多くは肺がん、肺線維症などの呼吸器疾患、腎障害など、ウランの粉塵やラドンガスへの曝露による病気で苦しみ、亡くなっている人々も多いのです。人々はウランの危険性を知らされず、坑夫のみならず、家族も汚染した住環境で被曝しました。彼女たちの集落レッド・ウォータ・ポンド・ロードは、そのような被害を受けた村のひとつです。
この集落は、ノースイースト・チャーチロック鉱山(NECRM)とクィヴェラ/カーマギー鉱山に挟まれ、ユナイテッド・ニュークレア社のチャーチロック精錬所(1977-1982年操業)の近くにあります。二つの鉱山は1983年に廃坑となりましたが、大量の鉱山廃棄物「ウラン残土」が残されました。また、チャーチロック精錬所では1979年に、放射性廃棄物貯留池ダムが決壊事故(米国で最大容量の放射性廃液漏出事故)を起こし、コミュニティ周辺のみならず、放射能が流れ込んだプエルコ川流域の広範な地域が汚染されました。エイディスさんとテリーさんは「ウラン採掘によって汚染された土地や水を元に戻し、住民の健康を取り戻し、私たちが生活する場所の自然と文化の環境を守り、存続させること」を目指して2006年に設立された、住民組織≪レッド・ウォーター・ポンド・ロード・コミュニティー協会(RWPRCA)≫のリーダーです。
エイディスさんとテリーさんは「守る会」のメンバーの案内で、葛尾村、楢葉町、浪江町・津島、そして大熊・双葉を回って、新地町でも視察・交流を行いました。特に、「帰還困難区域」を抱える浪江町・津島では、「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」を闘っている原告の方々とも交流し、「国や企業が人々に放射能被害を強いているのに、責任を取らず、補償も『原状回復』もしようとしない核被害の現状は同じだ」と、米先住民の二人と福島原発事故被害者は、互いに共感し、今後の連帯も誓って「エール交換」をしました。
(エイディスさんとテリーさんの日本での講演の報告は「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」のニュースレター「ジュラーヴリ138号」をご参照ください。)